
元
NHK アナウンサーだった
宮田修(みやたおさむ)は、9人兄弟の末っ子として1947(昭和22)年10月4日に千葉県
船橋市に生まれた.

母親は、終戦直後の大変な時期に女手ひとつで育てあげ、
千葉県立船橋高校から、
埼玉大学に進学して卒業した.

1970(昭和45)年に
NHK の旭川放送局に入局し、最初はスポーツのアナウンサーだったが、福島放送局勤務以後はニュースのアナウンサーとして活躍した.

東京勤務時代には、
NHK モーニングワイドの平日6時台キャスターをおこなった.

また、大阪勤務時代には1995年の
阪神大震災に遭遇し、第一報の 5:49AM から 22:50 まで、大阪から被害の状況を沈着冷静に全国に伝え続けた.

学生時代の友人の紹介で購入した家が、たまたま古くからの神職の家だった.

そこの老神主から後継者がいなくて困っていると相談を受け、断れず "最初は60歳以降のボランティアでやったらいいかな" といった気持ちで、千葉県のさびれた
熊野神社の神職を引き受けることになったという.

しかし、
宮司(ぐうじ)資格の修得の勉強をつづけるなかで "神主とは一郷の人々の魂を預かる人" などの言葉を聞いて真剣に取り組むようになった.

そして、
NHK の定年間近に神主の試験を受けて見事合格し、NHK エグゼクティブアナウンサーの職を離れたのだ.