2004年06月23日

船橋ヘルスセンターと入湯税と遊園地、

なぜ、船橋ヘルスセンターに遊園地ができたのか.
市町村が課税する税金に入湯税というものがある.今は客1人1日につき150円くらいだ.船橋ヘルスセンター誕生した、1955(昭和30)年の物価は、新聞月極330円、一部売り10円、銭湯大人15円、映画140円、タバコピース(10本)45円、ゴールデンバット(20本)30円、コーヒー50〜100円、ビール大瓶125円、そば30円、雑誌(中央公論)120円、レコード300円だった.船橋ヘルスセンターの当初の入湯料は120円で、内入湯税は20円相当だった.実は、船橋ヘルスセンター(朝日土地興業会社)と入湯税と遊園地には大きな関係があった.船橋の入湯税の話は、船橋の50万坪埋め立ての問題から発している.
1960(昭和35)年ごろ:船橋漁港








当時の船橋は、漁業を中心とした貧乏な市だった.そこで、ららぽーとがある(船橋ヘルスセンター)場所を埋め立てて、そこで得た土地を使って企業誘致をすることを当時の船橋市長(高木)が考えていた.しかし、そこで暮らしている漁民の漁業補償という重要な問題があった.この補償費をどのように捻出するのかという問題である.
1955(昭和30)年7月:建設中の船橋ヘルスセンター







1954(昭和29)年10月には目標がつき、埋め立てが完成したときには、「15%の土地と5,000万円の補償をする.そして2,500万円は着工と同時に支払いする」ということが、漁業組合の幹部と話し合いがついた.
そうして仮同意書に調印するとともに、漁業組合の総会の議決を経て本同意書にかえるということになった.
1954(昭和29)年12月の市議会においても、全員協議会を開いた結果、埋め立て計画を県に申請するという結論に達した.これによって、50万坪埋立の申請が県に提出され、この申請に対する千葉県知事の諮問が始まった.1955(昭和30)年の7月11日付をもって行なわれ、1955(昭和30)年8月9日に諮問申請につき議決された.しかし、その後漁業組合にとの話し合いが難航した.
1955(昭和30)年8月には、埋め立て地の15%と7,500万円の補償案が出たが流会となった.1956(昭和31)年6月には、1億2,500万円をもって総会にかけたが、またも流会となった.ついに漁民は、埋め立てをしようとする賛成派と、反対派の二派に分裂してしまった.
最終的には、賛成派が埋立期成会を作って漁民の意思をまとめ、1956(昭和31)年8月1日の総会において、「現金1億円は第一期工事着工と同時に、残りの2,500万円は工事完了後に出す」、また、「1956(昭和31)年度、1957(昭和32)年度にそれぞれ1,250万円の漁業振興費を交付する」ということで、組合の最後の結論が得られた.そして、ようやく1957(昭和32)年10月6日には細目協定が結ばれた.
1956(昭和31)年7月船橋ヘルスセンターのプール開き







埋め立てがいよいよ実施段階に入るが、実際に埋め立てするにあたって、当時の船橋市には金もないし、借金もできないという状況だった.多額の事業費の財源をどうするかということで、大きな壁に突き当たってしまった.
やむなく、埋め立て費用や補償費など一切の経費を朝日土地興業会社(船橋ヘルスセンター)に立てかえてもらって仕事を進めようということになった.
で、船橋市はどうしたか.船橋市は、朝日土地興業会社が作る船橋ヘルスセンターの、入湯税を免除してしまったのだ.
船橋市が漁民に補償する1億2,500万円の補償金の支払いについて当時の船橋市長(高木)は、朝日土地興業会社が5,000万円、また船橋市が7,500万円の負担をすることを市議会に提案し、この市議会において了解をえた.
その返済方法は、入湯税の免除することによって、1957(昭和32)年4月分から1966(昭和41)年の3月分まで8年間分の入湯税7,500万円を免除するというものだった.
つまり、朝日土地興業会社で一時立てかえておいてもらって、船橋市は入湯税を免除して相殺するという考えだ.このとき船橋市は、条例を設けて課税免除することにした.
船橋ヘルスセンターは、1955年2月に開場したが、当初予定していた規模より大幅に改増築し、収容能力が増大して入湯者が増加していた.入湯税を免除することを無視してはならないという世論が徐々に高まってきていた.
1958(昭和33)年ごろ:海老川河口







1956(昭和31)年に朝日土地興業会社と締結したときには、当時の見込みでは、1,200人/1日前後の入湯者があると考えていたわけだが、船橋ヘルスセンターは、その後二度三度と収容能力をふやしたということもあって、年数を減らして早目に解決したらどうかというような声が出てきた.
調査の上、返済期間を短縮すべきであるという意見が市政の論議の中心となり、未解決のまま1959(昭和34)年4月の市長および市議会議員選挙によって、本問題も頂点に達した.
この問題を違法であるとして、1959(昭和34)年6月定例市議会において、入湯税の問題については対策委員会を設けて検討することになり、学識経験者、議会代表者計14名を委嘱したが、学識経験者4名ならびに議会代表者2名が辞退してしまった.やむなく、議会代表の8名によって入湯税の諮問対策についての委員会が1959(昭和34)年9月14日に発足した.
法的見解など、自治庁あるいは県地方課に委員を派遣して準備を整え検討して、ようやく1959(昭和34)年9月16日第一回の対策委員会を開いた.自後数回にわたって対策委員会を開いた.千葉県からも、「実際やっていることが間違いである」ことの指摘を受けていた.
1959(昭和34)年9月12日、住民の監査請求によって、監査の結果に基づく措置請求が出された.
これにより早期解決を迫られ、ようやく市議会に提案して協賛を得た.
1965(昭和40)年:船橋海老川河口埋め立て







船橋ヘルスセンターとしても、税金を払うのは避けたい.そこで選んだのは、遊園地などの営業の多角化だったと思われる.
入場した者全員がおふろに入らないということも考えらる、というな状況を作り、入湯税そのものをぼかしておいた方がよかったからだ.
たとえば、5,000人入って、5,000人から全部取れるのか.入場券を発行しただけ税金が取れるかというとそうではない.それは、たとえば12才以上でないといけないということと、同時に、実際にあそこに娯楽施設があるので、おふろへ入らずに、その方に行って遊んだ場合には、これは入湯行為者にならない.入湯税の対象にならないということになると、実際に入湯した数というのは、その何割りになるのかというのが難しい.入湯税の対象人員というものをどう捕捉するかという問題になってくる.

※ 第033回、国会地方行政委員会の議事録を参考にさせていただいた.
※ 朝日土地興業株式会社は、1953年4月に設立され
※ 1970年1月に、株式会社船橋ヘルスセンター設立(資本金5億円、100%三井不動産出資)
※ 1970年4月に、朝日土地興業株式会社と、三井不動産販売株式会社は合併している.

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この記事へのコメント

1. Posted by 梓の小鳥    2006年09月26日 00:17
5 はじめまして。

千葉出身の私には船橋ヘルスセンターは谷津遊園と共に楽しい想い出があります。

沢山習志野の記事をお書きなんですね。 是非また寄らせて頂きますね。

もしよかったら私のブログにも一度いらしてみて下さい。「昭和っ子−独り言」と言います。

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